僕の賜物・49歳FIRE生活 (ぼくたま)

僕とパートナーとワンちゃん2匹のセミリタイヤ生活

「ケセラセラ」で生きてます。

ケセラセラ(Que sera sera)はスペイン語で「なるようになるさ」という意味ですが、先日、人気のミュージシャンの楽曲名を聞いた際、FIRE生活に入ってから正に毎日ケセラセラに生きてるなぁ」と改めて思った次第です。

会社員時代は、いわゆる「世の中の普通」と言われるぼんやりとした人生の目標の様な姿を追い求め、世間的な価値観や会社から課されるアレコレを達成するべく、日々何かと思案や工夫をこらしながら、なんとかやり過ごす様に暮らしていた様に思います。

自己啓発本の多くでも人生の目標を立て理想の姿を思い描き、そこから逆算して今やらなければならない事柄に「集中・行動」みたいな論調が「正しい在り方」の様に語られていますし、間違いでは無いと思います。

しかし、今の僕には、それらは最早意味を持たないなぁ、と感じています。自分なりに目標も達成できたし、今の暮らしはある程度理想に近い状態でもあると「目標が!」とか「理想の自分!」とか「5年後の将来を!」とかが、なんだか気負っている様で疲れるのです。

「ただ生きている事に価値はない」様な論調で語られる人もありますが、僕にとっては「毎日、家族と一緒に平穏に生きている」事が何よりも「尊い」ことであり、それを噛み締めながらFIRE生活を送っています。

「人生の目標」「理想の自分」「頑張り」も、生きがいや張り合いにもなるのですが、くれぐれも「ほどほど」で十分だと思います。時にはしんどい場面もありますが、心底まで自分を苦しめて達成する程の価値はありません。

情報過多な現代社会では「真面目」な人ほど疲れてしまう生きにくい時代になってしまった様に思います。時には「ケセラセラ」で参りましょう。